COLUMN

TOP > コラム > 車戦隊に見るキャリア観の変化 ――「走る理由」は、どのように変わってきたのか――

2026.05.29 Update

車戦隊に見るキャリア観の変化 ――「走る理由」は、どのように変わってきたのか――

スーパー戦隊シリーズには、時代ごとの働き方や組織観を読み取ることができる作品があります。

もちろん、特撮作品は本来、子どもたちが楽しむヒーロー番組です。けれども、そこに描かれるチームのあり方、役割の引き受け方、仲間との関係性を見ていくと、キャリア教育や働き方を考えるうえで興味深い視点が見えてきます。

今回は、「車」や「乗り物」をモチーフにした戦隊として、『激走戦隊カーレンジャー』『炎神戦隊ゴーオンジャー』『爆上戦隊ブンブンジャー』を取り上げます。

同じ「車戦隊」であっても、そこに描かれている“走る理由”は少しずつ異なります。

目の前で困っている人を助けるために走る。
相棒の願いに応えるために走る。
自分のハンドルを自分で握りながら、それでも仲間と同じ目的に向かって走る。

この違いは、働き方やキャリア観の変化とも重なって見えます。

なお、本稿は作品の公式解釈を示すものではありません。各作品の基本設定をもとに、キャリア教育や働き方の視点から読み解いてみる試みです。

キャリアを言語化する前の働く姿

『激走戦隊カーレンジャー』のメンバーは、自動車会社「ペガサス」で働く普通の人たちです。

最初からヒーローになるために訓練されていたわけでも、特別な使命を背負って生まれた存在でもありません。日常の仕事をしている人たちが、ある出来事をきっかけに戦隊としての役割を担っていきます。

この設定から見えてくるのは、現代的な意味での「キャリアデザイン」や「キャリア・オーナーシップ」とは少し異なる働き方です。

もちろん、カーレンジャーのメンバーにキャリア観がないということではありません。人が働くうえで大事にしている価値観や、その人なりの軸は、どの時代にもあります。

仕事への向き合い方。
人との関わり方。
困っている人を見たときにどう動くか。

そうした行動の中に、その人の価値観は表れます。

ただ、カーレンジャーの時代には、それを「自分のキャリア」や「自分らしい働き方」として言語化する感覚が、今ほど前面には出ていなかったように感じます。

自分は何者になりたいのか。
どんなキャリアを築きたいのか。
どんな価値観で働きたいのか。

そうした問いを立てる前に、まず目の前に仕事がある。目の前に困っている人がいる。目の前に起きている問題がある。

だから動く。

そこにあるのは、キャリアを語る前の、もっと素朴な「応答」の感覚です。

キャリアを設計する前に、まず目の前の人を助ける。
自分らしさを語る前に、まずその場で必要なことに向き合う。

カーレンジャーは、キャリアを言葉で語る前の「働く姿」を映している作品として読むことができます。

関係の中でキャリアに意味を見出す

『炎神戦隊ゴーオンジャー』では、炎神という相棒の存在が大きく描かれます。

炎神は単なるマシンではありません。意思を持ち、言葉を交わし、共に走る存在です。

ここで、“走る理由”は少し変わってきます。

カーレンジャーでは、目の前の仕事や困りごとに応答することが中心にありました。一方、ゴーオンジャーでは、炎神の願いをかなえること、相棒と一緒に走ることが、自分にとっての意味になっていきます。

ここには、「関係の中でキャリアに意味を見出す」という感覚があります。

キャリアというと、つい「自分は何がしたいのか」と、自分の内側だけを見つめるものだと考えがちです。

しかし、実際には、自分のやりたいことや大事にしたいことは、最初から一人で完成しているわけではありません。

誰と出会うか。
誰の願いに応えるか。
どのような人と一緒に働くか。
どのような関係の中で自分の力を使うか。

そうした関係の中で、自分が大事にしたいものが見えてくることがあります。

ゴーオンジャーにおける「炎神の願いをかなえる」という構造は、そのように読むことができます。

自分一人の夢や目標だけではなく、相棒の願いがある。その願いに応えたいと思う。一緒に走る中で、自分にとっての意味が育っていく。

これは、キャリア理論でいう「キャリアアンカー」に近いものとして考えることもできます。

キャリアアンカーとは、その人が働くうえで譲れない価値観や動機、自分らしさの核のようなものです。

ゴーオンジャーの場合、その核は、自分の内側だけから生まれるというより、相棒との関係の中で形になっていくように見えます。

ただし、ゴーオンジャーで描かれる関係性は、比較的「近い価値観を持つ者同士」の協働としても読むことができます。

仲間が同じ方向を向いている。
相棒の願いを共有しやすい。
相棒との関係が、自分の走る理由になりやすい。

これはとても強い関係です。

一方で、現実の組織やチームでは、必ずしも全員が同じような価値観を持っているとは限りません。むしろ、現代の職場では、背景も、経験も、働く理由も、価値観も違う人たちが、同じ場に集まることが増えています。

その意味で、ゴーオンジャーは「関係の中でキャリアに意味を見出す」段階を描く一方で、まだ比較的、近い価値観を持つ者同士が一緒に走る物語として位置づけられるのかもしれません。

自律と協働が同時に求められる時代

『爆上戦隊ブンブンジャー』で印象的なのは、「自分のハンドルは自分で握る」というフレーズです。

この言葉は、キャリア教育の視点から見ると、とても現代的です。

現在は、将来の予測が難しい時代です。

一つの会社に入れば、その後の人生がすべて安定する。
組織が自分のキャリアをすべて用意してくれる。
決められた道を進めば、それで安心できる。

そう言い切ることは難しくなっています。

もちろん、組織に所属して働くことの意味は今も大きいです。会社や職場の中で経験を積み、役割を果たし、成長していくことは、現在でも重要なキャリアの形です。

ただ、それだけでは、自分のキャリアを守りきれない場面もあります。

だからこそ、自分はどう走るのか。何を大事にするのか。どこに向かって、誰と走るのか。

そうしたことを、自分の頭で考えていく必要があります。

ブンブンジャーの「自分のハンドルは自分で握る」は、キャリア理論でいう「プロティアンキャリア」に近い感覚があります。

プロティアンキャリアとは、組織に用意された道をそのまま進むのではなく、自分の価値観を大事にしながら、環境の変化に応じて自分のキャリアを築いていく考え方です。

ただし、ここで大切なのは、それが「好き勝手に走る」という意味ではないことです。

自分のハンドルを握るということは、自分で選ぶということです。そして、自分で選んだことの責任を引き受けるということでもあります。

ブンブンジャーのチームは、最初から全員が同じ価値観でまとまっているわけではないように見えます。

それぞれに事情がある。
背景がある。
大切にしたいものがある。
走り方も違う。

人が出たり入ったりしながら、その都度、関係性をつくり直していくような雰囲気もあります。

これは、現代の組織に近い姿ではないでしょうか。

かつてのように、固定されたメンバーが、同じ価値観を前提に、長く一つの組織に所属し続けるだけではありません。

プロジェクトごとに人が集まる。
役割が変わる。
外部の人と協働する。
それぞれの事情を抱えた人が、同じ目的のために一時的にチームになる。

現代の組織は、固定的な共同体というより、出入りのある協働の場に近づいている部分があります。

その中では、「みんな同じ価値観だからうまくいく」とは限りません。むしろ、価値観がばらばらであることを前提にしなければならない場面もあります。

そのときに大切になるのは、自分の価値観を押し通すことではなく、自分の選択に責任を持つことです。

自分はこう走る。
その責任を自分で引き受ける。
仲間やチームの目的も見失わない。

そうした姿勢があるからこそ、結果として仲間に認められ、協力を得られる。

また、ブンブンジャーでは、協力してくれるのが身近な仲間だけではない点も興味深いところです。公的な立場にある人や周囲の支援とも、最終的には接続していくように見えます。

自分のハンドルを握ることは、孤立することではありません。
自分で責任を持つことは、誰にも頼らないことではありません。

自分の意思で走る。
自分の選択に責任を持つ。
だからこそ、その姿勢が周囲に伝わり、仲間や組織からの協力につながっていく。

ブンブンジャーの「自分のハンドルは自分で握る」は、自律と協働の両方を含んだ言葉として読むことができるのではないでしょうか。

「走る理由」の変化と、キャリア観の変化

こうして並べてみると、車戦隊の変化は、「車のモチーフがかっこいい」というだけではなく、キャリア観の表れ方の変化としても見ることができます。

カーレンジャーでは、キャリア観はまだ言語化されていません。働く意味や価値観は、目の前の困りごとに応答する行動の中に表れています。

ゴーオンジャーでは、関係の中でキャリアに意味を見出していきます。相棒の願いをかなえること、一緒に走ることが、自分にとっての走る理由になっていきます。

ブンブンジャーでは、異なる立場や価値観を持つ人たちが、それぞれ自分のハンドルを握りながら、最終的には同じ目的に向かっていきます。ばらばらであることを前提にしながら、責任を引き受けることで協働が成立していきます。

これは、働き方や組織の変化とも重なります。

かつては、働く意味をわざわざ言語化しなくても、目の前の仕事や役割に向き合うことで進んでいけた部分がありました。

その後、自分は何を大事にして働くのか、誰とどのように関わるのか、仕事にどんな意味を見出すのかが、少しずつ問われるようになってきました。

そして今は、価値観が違う人たちが一緒に働くことを前提に、自分のキャリアに責任を持ちながら、他者と協働する力が求められているように思います。

おわりに

車戦隊は、ただ車に乗って戦う戦隊ではありません。

そこには、人が何のために走るのか、誰と走るのか、どのように自分の進路を選ぶのかという問いが、少しずつ形を変えながら描かれているように思います。

カーレンジャーは、キャリアが言語化される前の時代。
ゴーオンジャーは、関係の中でキャリアに意味を見出す時代。
ブンブンジャーは、ばらばらな価値観を持つ人たちが、それぞれ責任を引き受けながら同じ目的に向かう時代。

そう考えると、車戦隊は、キャリア観の変化も一緒に走らせてきたのかもしれません。

自分のハンドルを握ること。
でも、一人で走るわけではないこと。
違う走り方の仲間とも、同じ目的に向かえること。

それは、これからの働き方やキャリアを考えるうえでも、大切な視点ではないでしょうか。

ブンブンジャーの「自分のハンドルは自分で握る」という言葉は、もう少し掘り下げると、自己責任論やキャリア・オーナーシップの話にもつながっていきます。

その点については、また別のコラムで考えてみたいと思います。


なお、noteでは、もう少し特撮シリーズの読み物としてこの記事を掲載しています。

車戦隊は、“走る理由”を変えてきた――カーレンジャー、ゴーオンジャー、ブンブンジャーから考えるキャリア観の変化――|note

カテゴリー
アーカイブ
検索

CONTACTお気軽にお問い合わせください。

-- WEBからのお問い合わせはこちら--

お問い合わせはこちら

お問い合わせ・ご相談はこちらお問い合わせ・ご相談はこちら